日本は、国が統一し始める頃からすでに海外に目を向けていた。遣…

日本は、国が統一し始める頃からすでに海外に目を向けていた。遣隋使、遣唐使の頃の中国からの影響は、奈良や京都の町だけではなく、日本語や日本文学にも見られるように一般の生活様式にまで及んだ。中世に入っても、キリシタン宣教師、南蛮商人を通じて、当時のヨーロッパ、特にスペイン人やポルトガル人がもたらした宗教、戦術は日本の歴史を変えたと言っても過言ではない。海外との交流を禁じた鎖国時代ですら、出島を通して入ってきていた蘭学は、(22)幕末に日本を動かした人々の考え方の土台となったと言われている。また、明治維新後にヨーロッパから入ってきた思想や科学技術は、文明開化と言われるように、(23)日本全体を変えてしまった。しかし、戦後のアメリカがもたらした影響ほど、現在の日本を変えたものはほかにはないのではないか。アメリカからの外来語なしに日本語が話せなくなってきたほどである。

信長は、ほかの大名を助けたり応援したりする者は、寺であろうと…

信長は、ほかの大名を助けたり応援したりする者は、寺であろうと何であろうとすべて焼き払いました。京都の比叡山にある延暦寺という非常に有名な寺も立派な建物や文化財を信長にすっかり焼かれてしまいました。そのような信長が、恵林寺という寺を焼き払ってしまえと命じました。敵の兵隊をかくまっていたからです。ところが、光秀は信長に従おうとせず、「もう少しお寺やお坊さんを大切にするように」と勧めました。すると、信長はかんかんにおこって、不従順な態度をしかりました。また尾張の国のすぐ隣の国の大名、徳川家康が信長を訪ねてきた時、光秀はそのもてなしの責任を受けました。ところが、あまりに豪華なもてなし方をするので、またまた信長にしかられてしまいました。このようなことが積もり積もって、とうとう信長に対して謀反を起こす決心をしました。

「幕末に日本を動かした人々の考え方の土台となった」という言葉…

「幕末に日本を動かした人々の考え方の土台となった」という言葉から、蘭学を学んだ結果、どんな考えを持つようになったでしょうか。「ずっと鎖国をしていよう」という考え